2023年9月12日
あそび方ではない、感じたものを表現する劇場が自然にはある
![](https://takaranoyama.camp/wp-content/uploads/2023/09/4914650092346935074.3adcb829cac511297f8a798cec90652e.23081123.jpg)
あそびの劇場
劇場だがシナリオはない
提供もなるべくならばしたくないのが極論
自分であそびはつくるもの、つくれるもの
他人から提供されることが当たり前になった社会
満足させることにエネルギーを費やす主催者
それはサービスの一部であったらよいが、すべてであってはならない
なぜなら、考えなくなるからだ
人はそもそも考えながら、判断し、決断し、多くの失敗と成功をし
自然の営みに織り交ざりながら生きてきた
しかし、それはごく一部の社会に変化した
劇場にはなりにくいが
この御勅使川でのイベントは生み出し続ける
ものとしていきたいと
講師ながらに叫んでいる
川の水量、味、岩の形状、空気感、当日の湿度、気温
参加者の様子、感情の動きをみながら
決定していく
当然、参加者が勝手にリスクをあそびはじめたらそれでいい
感情の動きが大切である
怖いから安心へ
安心から不安へ
そして恐怖へ
ココロが踊ること
体験で大切にしている
ココロ揺れ動けば、体験が心に残り、やがて経験に変わる
![](https://takaranoyama.camp/wp-content/uploads/2023/09/4914650092346935074.8ab767f2455d9159e974b1277fc289b0.23081123.jpg)
危険と安全を行き来する
水流をせき止めてみたら、おもろいことが起きた
あそびは無限
予測不可能な水流が下流のヒトを襲う
そしてプカプカ浮いている様は
なんとも楽し気
危険から少しだけ
離れる時間
すぐに危険がやってくる
それが自然なのである