2023年9月12日

あそび方ではない、感じたものを表現する劇場が自然にはある

あそびの劇場 

劇場だがシナリオはない
提供もなるべくならばしたくないのが極論
自分であそびはつくるもの、つくれるもの
他人から提供されることが当たり前になった社会
満足させることにエネルギーを費やす主催者
それはサービスの一部であったらよいが、すべてであってはならない
なぜなら、考えなくなるからだ
人はそもそも考えながら、判断し、決断し、多くの失敗と成功をし
自然の営みに織り交ざりながら生きてきた
しかし、それはごく一部の社会に変化した

劇場にはなりにくいが
この御勅使川でのイベントは生み出し続ける
ものとしていきたいと
講師ながらに叫んでいる

川の水量、味、岩の形状、空気感、当日の湿度、気温
参加者の様子、感情の動きをみながら
決定していく
当然、参加者が勝手にリスクをあそびはじめたらそれでいい

感情の動きが大切である
怖いから安心へ
安心から不安へ
そして恐怖へ
ココロが踊ること
体験で大切にしている
ココロ揺れ動けば、体験が心に残り、やがて経験に変わる

危険と安全を行き来する

水流をせき止めてみたら、おもろいことが起きた
あそびは無限
予測不可能な水流が下流のヒトを襲う
そしてプカプカ浮いている様は
なんとも楽し気
危険から少しだけ
離れる時間
すぐに危険がやってくる
それが自然なのである